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| 生い立ち | |
| 1956年 | 吉村家の長男として神戸で生まれました。 |
| 1967年 | 神戸市立布引中学へ入学と同時に野球部へ. 野球部の監督であり、私の人生観を変えた恩師と出会う。 |
| 1970年 | 恩師の薦めで兵庫県立鈴蘭台高校へ入学。 野球部に所属。 |
| 1973年 | 大学入学と同時に母校の野球部コーチに・・・2年後監督として後輩を指導 それ以外アルバイトをしては、国内旅行や海外旅行へ行くなど学生時代を満喫する。 |
| 1978年 | オイルショックで就職難の中、業界2番手の卵問屋に就職、営業として働く。 会社の社長よりゴルフクラブのお下がりをいただきインサイドアウトのハイフィニッフュ・ドローでゴルフを覚え始める。ちなみに初ラウンドは135点だった。空振りは一回もなし!! |
| 1982年 | 卵問屋社長が会社を譲渡。新事業を始めることになり引き抜かれゴルフショップ「ゴルフプラザワールド」へ転職。 未経験でゴルフショップの経営スタッフに抜粋抜擢され自社ブランド『アームスコット』でオリジナル商品を企画・製作・販売をする。 また、練習場にはショップを出店するなどのマネージメントも行う。 この頃ゴルフは年に7〜8回ラウンドする程度で、平均95点ぐらいのレベル。 スポルディングのマスッスルアイアンを始めて自分で買う。 そして、クラブを変えたころからシャンク病にかかり、また120点に逆もどり・・シャンク病で半年間苦しむこととなる。 |
| 1988年 | 「ゴルフプラザワールド」を退社。独立へ。 家のガレージを改装し【ヨシムラゴルフ】を立ち上げ、 ミズノ・ダイワを2本柱にオーダークラブを展開し商売を始める。 このころ、パーシモンからメタルへ ピンのアイアン・テーラーメイドのメタルドライバー・フックグリップ・フラット打法が同時に日本に入ってくる。 フレッド・カプルスやカーチス・ストレンジを代表にアメリカのPGAツアーでは、フックグリップ・低いフィニッシュ・・・カット打ちに見えるのに、ストレートな球になる仕組みが分からず、ベン・ホーガンから水平打法・ ハンマー打法・レッド・ベターまでレッスン書をむさぼり読んだが、解明できずスイングの研究を重ねると同時に、ロイヤルコレクション賢見社長と出会い、商品試打を始め開発アドバイスをするようになる。 スイングとクラブの試打研究を重ねるゴルフ漬けの人生が始まる。 プレイヤーとしては、友人と【チームヨシムラ】を結成クラブチャンピオンを目指し、ゴルフに熱中する。 |
| 1990年 | 山本洋一プロに出会い。【インサイドと言うのは体の中からクラブが降りてくることをインサイドという】のひとことでスイングに対する全てのなぞが解ける。 ますます、ゴルフに熱中!! |
| 1994年 | 念願のクラブチャンピオンになる。 |
| 1995年 | 阪神淡路大震災が起こる。 ゴルフ屋も終わりと諦めていたときに神戸ウエストゴルフクラブ練習場のインショップ及びアドバイザーとして声をかけて頂き、 「どんなに良いクラブでも、実際打たなければ良さはわからない」と200本以上の試打クラブを用意し、練習場にショップを移転する。 |
| 2000年 | 有限会社ヨシムラゴルフを設立 同時に、商品開発やフィーリングテスト・プロのマネージメントなどを業務とする会社「有限会社ツアープロジェクト」を設立 |
| 2002年 | クラブアナリストとして雑誌社の試打テストなどを始める。 【最強の試打軍団】と称号をいただく。 |
| 2004年 | 【株式会社チームヨシムラ】として組織を変更 『こんな技量とヘッドスピードの持ち主が使えば、こんなボールが打てる』ということを明確に訴えたクラブ造りを始める。 |
| 2006年 | 月間ゴルフダイジェスト『D-1グランプリ』にて【NET405 ドライバー】地クラブ部門で優勝。 『AMGTF』 にてティーチングプロの資格を取得。また、『AMGTF』 JAPAN PRESIDENTを就任。 SHARPRO社とSHARPRO GRIP東アジア総代理店として契約。 |
現在に至る |
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